ちゃいるど・ぷれい7







「あははー、ライちゃん危機一髪だねぇ」

  そこは、アーバンタイン邸の屋根の上であった。勾配のあるスレート拭きの寄
 棟の屋根の上で、毛布に丸まったライが座り込んでいる。陽は既に山の向こうに
 落ち、月が上がり東の空にあるのをライは認める。
  その横にあぐらを掻くようにして座り込んでいるのはアリサであった。ライは
 妖しい言い争いに耽る二人からなんとか逃げだそうとし、腰に毛布を巻いたまま
 でなんとか遠ざかろうとしたその時、窓から延びてきたアリサの手によって屋根
 の上に連れ出されたのであった。
  ライには今こうやって、真冬の屋根の上に自分が毛布にくるまっていることに
 現実味が感じられなかった。さっきのセシルやコリーンといい、やたらに窓に縁
 があるアリサの行動と言い、出来の悪いお話の中でまるで鍋の中の豆のようには
 ね回っている気がするのである。

「……アリサ、お前……どこまで見てた?」

  ライには夜の風に震えながら聞く。もし一部始終を聞かれていれば、面目もな
 にもあったものではない。

「ん?コリーン様が変な恰好で二階の廊下を出ていらっしゃった時に、何かおか
しいなぁって……なにか、大変なことだったみたいねぇー」

  アリサはにやり、と笑ってみせるがライには吊られて笑う気にはなれない。た
 だ笑いのようなものが生硬に唇に張り付き、どうにも表情が硬い。アリサは月に
 照らされたライの整った横顔を、見とれたように眺めていた。

「それにしても……ライちゃんったらほんと美少年……」

  その一言は、いままでさんざんな目にあったライをびくり、と反応させるには
 十分であった。ここで馬鹿言え、などといつも通り振る舞えるのであればアリサ
 にはなにも起こらなかったかも知れない。だが、明らかに脅えの表情を見せるラ
 イに、アリサは自分の食指がぴくつくのを感じる。
  脅え、震えるライの顔は女性をしてそそらせる物があるのだ。幸か不幸か、ラ
 イはそれに気が付いていなかった。ただ気が付いていてもどうにでもなるもので
 もないが。
  アリサの腕が、すぅーっと音もなくライに伸びる。月明かりは雪に照らされ煌
 々と輝き、その中でアリサの目にも妖しい輝きが宿っているのをライは見た。

「アリサ、お前までライをびびらせてどうする?」

  その声は唐突だった。アリサの横に黒い人影が現れ、はっと身構えるアリサよ
 り早く動く。無駄の全くない動きで、その黒い影はアリサを屋根から投げ飛ばし
 ていた。

「うっきゃぁぁぁ〜!!隊長ぉぉぉぉ!」
「安心しろ、死にはせん!」

  ドギモを抜かれたライの真横を、アリサが地面に向かって吹っ飛んでいった。
 アリサの身体は弧を描き、庭木の枝の中に飛び込んでいく。バシバシ、バキ、ド
 サ、という音が立て続けに下の方から聞こえてくる。
  アリサに変わってそこに立っていたのは、ファースニルその人であった……元
 特務兵のアリサに忍びより、抵抗を許すことなく投げ飛ばせる人間はもとより
 ファーぐらいしかいないのであったのだから。

          ☆               ☆

「……お前も俺を襲うのか?」

  それがライの第一声であった。先ほどからの続けざまの事態に疑心暗鬼になっ
 ていたライの言葉に、ファーは眉間に皺を寄せて馬鹿も休み休み言え、といいた
 げな顔で即答する。

「いや、そういう趣向はオレにはない、安心しろ……」
「そうか……で、お前はどこから見ていたんだ?」

  その言葉を聞くと、ファスニールは顎に手を当て、にやりと笑う

「……どこからだと、お前は良いんだ?」

  はぁぁぁぁぁ、と長く長くライが溜息を吐くのがファーには聞こえる。ファー
 は先回りし、一部始終を聞いていたのだ。それも寒い冬の屋根や壁の外で身を潜
 ませながら……まったく彼の能力は感心すべき物がある。
  だが、そんなファーを前にライには弱り目に祟り目、という言葉しか浮かばな
 かった。ずーんと暗い顔つきで庭の彼方を見、今にも飛び降り自殺を敢行しそう
 なライをファーは慰めるように押し留める。

「ファー……ということは、コリーンのあれも見ていたのか?」

  それは言うまでもなく、乱入してきてコリーンの奇天烈な衣装の事であった。
 ライの問いに、ファーは黙って頷く

「コリーンはお前の婚約者だろうが……何故止めなかった?」
「普段なら止めたさ。だが、お前がその有様だと妬く気にもなれんからな、まぁ
好きにやっても問題は無かろうと……」

  言っている最中からライがどんどん落ち込んでいくのを察して、ファーは本題
 を切り出す。

「あのな、オレも今回の件は悪いとは思っている……さっきは期待一杯のコリー
ン様の手前言えなかったんだがな、お前のその情けない有様を直す方法がある」
「なに!それは本当か!」

  ファーの言葉を聞き逃すライではなかった。その瞬間にがばり、と身を起こし
 ファーに詰め寄る。寒風吹き荒ぶ中で毛布から抜けだし、半裸でつかみかかって
 くる少年姿のライをなんとかファーは押さえる。そして、ゆっくりと答え始める。

「ああ、ある……この変容薬と一緒にあった資料にはこうあった。形態変容が起
こりやすいのは、月齢と、生体的に不安定な状況にあるのと、心理的な圧迫が強
まったとき、とな」

  ファーの言い出す言葉は、ライにはちんぷんかんぷんのお経のようなであった。

「……その、それはどういうことだ?」
「つまり、だ。今日みたいに満月に近いこと。それに、獣人化や体力的な消耗な
どののように変化に対して肉体が敏感な状態にあること。それに、極度の危機や
極度の興奮が訪れること。」

  ファーは指折り数える。その一つ一つに、ライは頷いてみせる。

「で、それを実際に満たすのは?」

  ライの問いに、ファーはすぐには答えなかった。視線をライから外し、困った
 ような何とも言えない複雑な表情で屋根の棟や庭園を眺める。しばしの沈黙の後
 に目線をそらしたまま、ぼそり、とファーは呟く。

「こういうことだ」

          ☆               ☆

  その時、ファーの靴がなんの躊躇もなくライを蹴り飛ばした。
  屋根の上から、屋根の下にむかって一直線に。

          ☆               ☆

  ライの寝室ではコリーンとセシルが窓枠からはみ出んがばかりにして屋根の上
 の様子を伺っていた。二人がライの遁走に気がついてからまもなくして、人影が
 アリサの声を立てながら庭木の中に落下していった……間違いなくそれは、ファー
 に投げ飛ばされたアリサであった。庭木の枝を二三本折りながら減速していった
 アリサは、なんとか茂みに軟着陸を果たしたが、そのあとぴくりとも動いた様に
 は見られない。。
  そんな中、屋根の上からまた絶叫が上がった。今度は腹から捻り出すような男
 の声で、さらにコリーンとセシルめがけて一直線に落ちてくる。
  セシルはコリーンの肩を掴み、自分の身を巻き込むようにして後ろに倒れ込ん
 だ。上半身を乗り出して屋根を伺っていた二人に確実にぶつかるコースに誰かが
 落下してきたからだった。怪鳥のような黒い影が、窓の向こうを高速度で落下す
 る。
  だが、その落下は止まった。バシッ!という激しい音と共に白い男の手が、窓
 枠を掴んでいる。
  セシルはコリーンの上から身を起こし、窓枠を見た。男性の大きな手が窓枠を
 掴んでいる。そして、懸垂をするように金髪の頭が徐々に上がってくる。見慣れ
 た頭と、見慣れた傷跡のある顔。セシルは感に堪えかねるように叫んでいた。

「ライ!」
「……セェシィルゥ……」

  帰ってきたのは嬉しそうなライの声ではなく、異常に恨めしげなうめき声であっ
 た。この剣呑ではない声の前にセシルは自分の肌に粟立つのが分かる。
  そこに現れたのは、もはや美少年の姿ではなく、いつもの美丈夫の姿であるラ
 イその人であった。おまけに全裸で、肩をいからせるように窓辺に立つ。

「ラ……ラ、ライよね、も……戻ったのよね?」
「……ファーの野郎のおかげでな……」

  セシルはライの身体から湯気が立っているのを認めた。それは冬の空気によっ
 て暖かい肌から立っている湯上がりのようなものではなく、なにか溶岩のような
 精気があふれているために噴いている蒸気のようにも見える。
  ライの首がきりきりと音を立てる機械仕掛けのようにセシルの方に向く。この
 尋常ではないライの有様にセシルは我知らず一歩引いてしまった。かつて獣人と
 化したライも恐ろしかった、が、今のライはそれに負けず劣らず迫力がある。

「あ……ライ……その……」
「……いままでさんざんやってくれたな、セシル……」

  セシルの額につぅ、と冷や汗が走る。何か言ってライを宥めなければならなかっ
 たが、何を言って良いのか全く分からない。いっそ泣きながら抱きついてしまえ
 ばうやむやに出来たかもしれなかったのだが、先ほどの行為の心疚しさが彼女を
 して、もう一歩後ろに引かせてしまう。

「そそのねあのライがあんまりにもかわいかったんだからあんな恰好であんなこ
とすればそれはそのあれは不可抗力というか緊急避難というかそう言うものであっ
てその……」

  句読点のないセシルの狼狽の言葉をライは聞いていなかった。それを遮るよう
 にぴしゃり、と言う。

「いや、いろいろ楽しませてもらったよ……あんな体験滅多に出来るもんじゃな
いしな……お礼と言ってはなんだがな、セシルにも楽しんでもらおうと思って
ね。」

  そう言ってライはまるで町の庶民の下品な仕草のように、突き出した親指で自
 分の股間を指した。そこには、暗闇の中でも分かる、剛毅に佇立したライの肉の
 凶器があった。先ほどの少年のものとは似ても似つかないというよりか、いつも
 よりも凶暴にすら見える。
  セシルは一人思った、ああ、今日はさすがに壊れてしまうかも、と……
  セシルは腰が抜けたようにぺたり、と座り込んだ。その勢いで肩からエプロン
 と上着がずるり、と下がる。
  ライが一歩また一歩とセシルに詰め寄る。
  だが、そんなライに横合いからタックルするように抱きつくものが居た。そん
 なことをするのはこの場ではただ一人……

「止めてくださいライ兄さま!私が悪いんです、私をお仕置きしてください!」

  それはコリーンだった。相変わらずボンテージな衣装はそのままで、腕をライ
 の裸の腰に抱きつく様にして回している。ライがゆっくりコリーンの方を向くと、
 そこにある物を認めた……謝罪の念ではなく、期待に満ちあふれた興奮した瞳。
  あきらかに、コリーンはこれにかこつけてライに手込めにされたがっているの
 だ。

「そもそもといえば私がこんなことを思うからライ兄さまに迷惑を掛けて……」
「そうか、そうだな……ならばお仕置きしてやらんとな……」

  まるでご褒美をもらう子犬のようにこくんこくん頷くコリーンに、ライは冷た
 く告げる。

「お仕置きはな……そこで黙って最後まで見ていろ。」
「え!そ、そ、そ、そんな!せめてお手伝いだけでも……」
「うるさいっ!それじゃお仕置きにならん!おまけにお前はファーの婚約者だろ
うが!」

  そう言うやライは手荒に泣きそうなコリーンをふりほどき、着崩れた女中装束
 というしどけない格好で床に横たわっているセシルに飛びかかる。

「くぉぁぁぁぁ!いくぞぉ!セシルゥゥ!」
「いやーん、ライ!お願い優しくぅぅ!」

          ☆               ☆

  その後、半泣きのコリーンによって付けられた交戦記録によると、ライとセシ
 ルのあいだでの戦いはおおよそ六ラウンド半に及んだらしい。精も根も尽き果て
 た二人が枕も毛布も蹴り飛ばされ、いろんな体液と汗に汚れたシーツの上で横た
 わっている。その顔は穏やかな表情であり、二人の間の様々な行きがかりや恩讐
 は、出すものと一緒に出し尽くしてしまったかのようである。

「ねぇ、ライ……まだ……怒ってる?」

  セシルが甘く細く囁く。

「……まさか。おまえも可愛かったよ、セシル……」
「もう……馬鹿」

  二人は横たわったまま顔を合わせると、どちらからともなく綻びるように笑い
 を浮かべる。やっと二人は心から相手を信頼する伴侶としての心からの微笑みが
 表せるようになった。ライが、セシルがお互いの指を絡め合い、握りしめた。

          ☆               ☆

  だが、そんなことをしている間にも、なんとなく降りる間を失ってしまって屋
 上で独り月を眺めるファーと、庭の茂みの中で白目を剥いて気絶するアリサと、
 廊下で床にのの字を書いていじけるコリーンが居ることなど、この幸せ一杯の二
 人は知る由もなかったのである。






<終わり>
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