ちゃいるど・ぷれい4







  豪華ではあるが華美ではないアーバンタイン邸の応接間で、コリーンとファー
 スニルはこの館の主人の登場を待ちかまえていた。そんな二人の前の飴色に鈍く
 輝くテーブルの上には、なぜか場違いの陶器の湯呑に緑茶が注がれている。
  こんな真似をしでかしたのは、言うまでもなくハルカである。ハルカの生まれ
 た国と故郷の習慣により、最良のもてなしとしてこうやってお茶を入れたのであ
 る。ただし、その場のすべてとこれはマッチしていない事に本人は気が付いてい
 ない。
  ハルカと短からぬ時間を過ごしたコリーンは全く違和感無くそれを受け付けた
 が、アーバンタイン家の敷居をまともにに跨いだことがないファースニルにとっ
 てこの湯呑は困惑を覚える代物であった。
  ファースニルがどうしたものか、と湯呑をつついていると、ホールと応接間を
 繋ぐドアがバレンタインによって開かれた。そこにやってきたの……

「まぁ、可愛らしいですわライ兄さま!」

  両手を組んで顎に当て、まるで夢見る少女のように声を上げるコリーンに、ど
 うにもぎこちない顔のライが軽く会釈をする。扉からやってきたのは、見目麗し
 い少年姿のライと、相変わらず女中装束のままのセシルであった。この二人を全
 く知らない人が見れば、おそらく若君と年若い乳母かなにかに見えることであろ
 う。どうやってもアーバンタイン領主夫妻には見えまい。

「お久しぶりでございます、コリーン陛下、ファースニル卿」

  スカートの裾を軽く掴んでセシルは優雅にお辞儀をする。一方のライは、好敵
 手ファースニルの奇異の視線を耐えられない、とばかりに視線を応接間の中を落
 ち着かなさげに泳がせている。

「……ここまで変わっちまったのか?ライ……一年も会わない間に」
「いや、変わったのは今日の朝だ……中身は大して変わってないぞ、大将」

  こんな返事が返ってくると、ファーはこの少年がライであることにようやく確
 信が持てた。さらによく見ると自分が付けたライの顔の刀傷は、うっすらとこの
 少年の頬に刻まれているのであるから疑うべくもない。
  ソファに腰を落としたままのファーと異なり、コリーンは腰を上げてライの元
 に小走りに駆け寄っていった。そしてそのまま何が起こったか分からない風情の
 ライを抱え上げると、抱きしめて熱烈に頬ずりをした。

「お、おい、コリーン!」
「ああ、やっぱりですわライ兄さま!ライ兄さまほどの美形の方でしたら少年時
代もさぞや可愛らしかろうと思っておりましたが、これほどとは……ああ、この
ままずーっと……ライお兄様!」

  あの、それは私の夫なんですけども、とセシルは合いの手の一つも入れたかっ
 たが、抱きしめて歓喜のまま頬ずりを繰り返すコリーンに対しては何も行動を起
 こすことは出来なかった。しばらくその熱烈なスキンシップは続き、やがてコリー
 ンに横抱きに抱かれたライがようやく解放される。

「……コリーン、その……『やっぱり』というのは……おまえ、オレがこんな風
になっちまった原因を知っているのか?そうだ、アリサはどうした?こいつとの
関係はどーなってる!?」
「落ち着け、ライ。こうなってしまった物は仕方がない。いや、実際効くとは思
わなかったんだがな……」

  冷静を装ってはいるファーであるが、その実彼もこの目の前の事態を前に困惑
 を隠しきれないのであった。そんな語尾不明瞭なファーに、ライが噛みつく。

「お前もか、ファー!その、効くってなんだ!」
「落ち着いて、ライ!……ファースニル卿、お願いです……どうやらすべてご存
じのご様子かとお見受けいたしますので、事のあらましをご説明いただけます
か?」

  この中で唯一、本当の意味での冷静さを保っているセシルに問いつめられ、
 ファーは気まずそうに頬をぽりぽりと掻く。その間にも、ライはコリーンの腕の
 中で呻きながら身悶えしているばかりである。

「あー……しなきゃ駄目か?」
「少なくとも、夫をこのように変えられてしまった妻としてはご説明の一つも頂
ければありがたいのですが……」

  ああ、こりゃ本気で怒っているな……ファーは一歩も引かない構えのセシルの
 物腰から読みとると、ファーはコリーンに目で説明をする許しを請うた。
  コリーンが仕方なさそうに頷くと、ファーはゆるゆると語り始める。

          ☆               ☆

  ファーは、窓際に立ち新雪に覆われた庭の風景を見やりながら、事のあらまし
 を語り始める。この光景はどこかで見たような気がするライであったが、ほどな
 くして一年前の政変劇の前夜の光景がこれに似ていたことを思い出した。
  あの時はコリーンの身の安全のことが案じられたが、今案じられるのは己の身
 の上である。ライは泣きたいような情けない思いに駆られる。

「まぁ、ご存じの通りコリーン陛下の即位からこの方、正直言って我が国の状況
は芳しくはない。良いことは戦争が無くなったことぐらいだ……我々廷臣も日々
尽力しているが、君主であるコリーン様にかかる負担も少なくはない……」

  ここでファーは言葉を切り、庭園の中に視線を漂っていたが、ふとある一点に
 止まる。しばらくそれを眺めているようであったが、そのまま言葉を続ける

「コリーン様は最近心労であらせられた……ふさぎ込むこともあり、我々は心苦
しい日々を送っていた……そんな中、錬金術師サイベルの残した資料の中から、
こんなものが発見された」

  そういって、ポケットからファーは薄紙に包まれた薬とおぼしき包みを取り出
 し、その場の者に見せる。

「なんだそれは?」
「変容薬の一種だ……あの変態の専門分野である獣人の研究の中で生まれた薬で
あると言うことは分かった……だが、不完全な薬でな。効くのは獣人の因子を持
つ者だけだ……だが、いろいろ種類はあるぞ?こいつみたいな若年化や、性別転
換とか、目の色だけを変えるとか……」

  いろいろ例示としたしたファーであるが、獣人云々の言葉が出たときからライ
 の瞳が険しくなり、セシルが顔色が青く変わり始めたのを見て口をつぐむ。どう
 も、この二人の前では獣人関係の話は禁物であるらしい……とは感じ取れたが、
 かといって避けて通る訳にもいかない。

「で?それがどうしたんだ?ファー」
「あの……私が、私が悪いんですライ兄さま……」

  ファーが話を再開させるより先に、相変わらずライを抱きしめているコリーン
 が細く話し始める。

「ファーからそんな薬が残されてたことを聞いて……それで、この薬が効く方は
知っている方ではライ兄さまぐらいしかいない、って言うのを聞いて、その……」
「……その?」

  膝の上のライに問われ、コリーンはぽっと顔を赤らめる。

「……その……その……あの時は疲れていて普通じゃなかったんです……でも、
その……小さくなったライ兄さまを見たいなぁ、ってつい……」
「よかったな、ライ。それぐらいで済んで。もっと大変な物はたくさんあったん
だぞ……まぁ、女性にされて見るというのも新しい快感に目覚めるかもしれんの
で悪くはないと思ったんだが」
「なっなっなっなっ、な、なんだとお前ら……お前ら……」

  とうとう明かされた衝撃の事実の、そのあまりの碌でもなさにライは絶句した。
  この二人とこの一件は何か関係があるのでは……とは思ってはいたが、ここま
 でまともではない理由があるとは想像も付かないことであった。そんな、コリー
 ンがライの少年姿を見たかったから、というのが発端だというのは……

「それでだな、ライ……こうなったわけだ」
「こうなった、じゃないだろうお前……じゃぁ、そいつを一服盛ったのは……」

  その言葉を聞くと、ファーは黙って応接間の窓を開ける。さっと一陣の冬の風
 が応接間に吹き込む中、窓枠を掴んで窓の外から上がってくる人の姿があった。
  それは、言うまでもなく……

「……アリサ、やはりおまえ……」
「にゃははー、ごめんねライちゃんー、どーしても断り切れなくてぇ〜」

  窓枠をまたいで部屋に入り、服に付いた雪を払い落としながらアリサは反省の
 はの字も感じられない口調で言ってのける。一方、怒ってしかるべきのライは、
 窓から出ていって窓から帰ってきたアリサに毒気を抜かれ、怒るにも怒れない風
 情であった。
  ライは視線を横のセシルに向けると、そこには事態の唐突さに付いてゆけず、
 呆然としたまま動きのない彼女の姿があった。このまま眺めていても詮無きこと
 なので、自然と険しくなる視線をアリサに向け直す。

「あのな、アリサ……この薬はあの、あのサイベルの変態野郎の遺物なんだぞ?
それをおまえなぜオレに盛る?」
「うーん、最初はいやだったんだけどねぇ。まぁ、二君に仕えるのは楽じゃないっ
ていうか……でもねぇ?」

  アリサはいかにもらしく腕を組んで悩んでみせるような仕草をするが、顔が全
 然悩んでいるようには見えない。おまけに、恐縮しているようにも見えない。
  不遜、とも言えるアリサの態度であったが、今のライにはそれをたしなめるだ
 けの余裕はない。

「でもねぇ、ほら、やっぱり小さくなっちゃったライちゃんを一回見てみたいっ
て……そう思わない?にゃはは、ねぇセシルさん?」
「え?私!?」

  今まで会話の流れに付いてゆけず、一人黙っていたセシルは突然自分の名前が
 呼ばれ、飛び上がりそうに驚く。

「そう、だってねぇ、こんなにライちゃんかわいいんだよー、いたずらの一つも
しちゃいたくなるぐらいにー、うふふふー」

  アリサとしてはなんの気無しの軽口であった。が、この中に図星が約一名いる。
  その図星の人であるセシルは、一瞬言葉に窮したかのようであったが、両手を
 ふるふるを振る。うぐ、と喉の奥で妙な声が出ると、一気呵成にまくしたてる。

「いやそんなことだって私とライは夫婦だしそんなちいちゃくなっちゃったといっ
てもいたずらなんてするわけがないしいくらかわいくてもだってそのねぇおふろ
ばでだなんてそんなはしたないことをだなんてその」

  独特の句読点のない平坦なしゃべり方と、機械的に振られる手は明らかにセシ
 ルが嘘をついている事を示しているばかりではなく、問わず語りで自ら墓穴を掘
 りつつあった。このまま放っておくと、事の一部始終を喋りかねないセシルの狼
 狽にライは危機感を覚えていた。なにしろ、そんなセシルにいたずらされまった
 のは自分なのだから……
  ここは、話を逸らさなくてはならない。己のなけなしの名誉のためにも。

「おい、ファー……じゃぁ、おまえがこの一件の計画を立てたのか?」
「計画と言うほどでもないが……そうとも言えるな。ま、いろいろ研究資料があっ
たから命に別状はないとあらかじめ判断できたからな。それに、だ。コリーン様
がお喜びになられるのであれば、私は何でもする気でいた。さらにこれでコリー
ン様の気分転換が出来るのあれば、おまえが犠牲になってもやむを得ない」

  ライの詰問口調にさらりとファーが答える。
  そうだ、こいつはこういうヤツだったんだ……と思うとライは目眩すら覚える。
 一年前はコリーンを救うために、平気で前国王を暗殺してのけたぐらいの男が
 ファーである。そんな最愛の人であり主君であるコリーンを喜ばせるためであれ
 ば、ファーは何でもやるであろう。その相手が戦友のライであっても。
  ライは、この確信犯の悪びれない言葉を前に自分の意識が後ろに向かってずれ
 るような感覚を覚えた。心の衝撃がもたらす鈍い疲れが全身にのしかかり、現実
 が非現実に割り込まれるような意識の遠さを覚える。

「ごめんなさい、ライ兄さま……ファーやアリサを責めないでやってください、
みんな私が悪いんです……ああ、でもライお兄さま、こんなにふかふかして可愛
いらしいんですもの……きゅう……」

  膝の上のライを抱きしめ髪に顔をうずめ、周囲の話と雰囲気を理解しているの
 か怪しいコリーンの仕草は、まるでぬいぐるみを抱く少女のようであった。だが、
 抱かれている方は事態の展開に気が気ではない。

「ファー……最後に答えてくれ……これ、いつになったら直るんだ?」

  一拍の沈黙の後、ファーが口を開く。

「……さぁ?」

  無責任なファーの一言がトドメとなり、ライの意識の中の視界がぐにゃり、と
 変な風に歪むのが分かった。心労と衝撃と疲労が次々に押し寄せ、ライの意識は
 どんどん遠くなってゆく。

「……ライ?どうしたのライ?しっかりして!」
「ライ兄さま!ああ、私が変なことを言ったばかりにこんな……」

  なにか、えらい遠くでセシルとコリーンの声が聞こえるな、と思ったのがライ
 の最後の記憶であった。視界は暗転、そして……






<続く>
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