へなマルチ外伝

へっぽこ浩之ちゃん 「ANGELIC浩之ちゃん」








「………むうぅ」

 今日も今日とて藤田家の居間。
 いつもなら帰宅後のごろごろタイムのはずなのだが。
 テーブルの上に置かれた物体を眺め、珍しく真剣に悩む浩之の姿があった。

「む! …………ふぅむ……」

 時折感心したようにうなづきながら、その肌色の物体を眺め回す浩之。
 マルチは七研におつかい中だ。

 大きさで言うと手のひらサイズのそれは、人の形をしていた。
 そして、青地のワンピースが装備されその上エプロンドレスも装着されてい
る。いわゆる冥土服である。
 さらにその人形、どー見てもマルチにしか見えないのがなんとも言えない。

「………………」

 浩之は唐突に何かを決心したように、一人こくんと頷いた。
 手が、そろそろとマルチドール(仮)のワンピースに伸びて行く。

「……はぁ……はぁ」

 浩之の顔が近づく。
 彼は既に汗だくで、傍から見てもわかるくらい緊張している。息も荒い。
 ぷるぷる震える指先がついに、マルチ(略)ピースのスカートにかかった。

  ぴらっ……

「……おぉ……中までばっちり」

「ナニやってんのよあんたわっ!!」

  ごめすっ……!







「いてぇな綾香っ…急に出現すんな!」

 切り捨て御免な威力を持つ綾香のカカトをなんとか受け流した浩之。
 ……カカトって受け流せるような軌道じゃないと思うんだが。

「浩之、前々から結構なシュミしてると思ってたけど……まさかここまでとは
 ね……」

 綾香は深く嘆息すると、浩之の肩にポンっと手を置いた。

「いくら浩之でもそれはちょっとマズいんじゃないの……人として」

「いきなり出てきて言いたい放題いってくれるなオマエ……」

 人間失格宣言されたようでブルー入ってる浩之を尻目に、綾香は人形に手を
伸ばす。なんだかんだ言っても好奇心旺盛な年頃の綾香だった。

「……はぁ……はぁ」

「お前も人の事言えねぇじゃねーか!!」 

「いや、なんか……つい」

「“つい”で済ませるな……ってゆーか何で綾香がウチにいるんだよ」

「へぇー、よくできてるわねーってゆーか出来過ぎ」

 浩之の発言をナチュラルに無視する綾香。
 
「しかしマ(略)ドレスを熱心にいじっている姿を見ていると、綾香もやっぱ
 り女の子であるということを、改めて認識させられる浩之だった」

「ヘンなナレーション入れてないで早く説明しろ」

 催促する浩之。
 すると綾香はふっふっふ、と不敵な笑いを漏らして浩之に指を突きつけた。

「暇だったから遊びに来ただけよ。セリオは留守番」

「そんな偉そうに言うようなことじゃないだろ……」

 さしもの浩之も呆れ顔である。
 いつもならここで綾香の相手になるのだが、今日は浩之の都合が悪い。

「というわけで綾香にかまってるヒマはないのだ。すまないが他をあたれ」

「どーゆーわけなのよっ!」

  ずびしっ!!

「ぐっ……ツッコんでもダメなものはダメだ……う、裏拳はよせ……」

 綾香にはまだ自分が全身凶器であるという自覚は無いらしい。
 やけに否定的な浩之の態度に、ふて腐れるようにそっぽを向いて言った。

「いやよっ。この前は姉さんとさんざん遊んだみたいじゃない。あたしとじゃ
 不満だ……って、そう言うのね!?」

 聞きようによっては意味深なセリフである。

「そんな事いってないだろ。明日にしてくれ、明日。……な?」

 浩之が微妙に顔をひきつらせるのと同時に、綾香の駄々っ子モードが起動し
た。こうなると浩之にも止められるかどうかわからない。

「今日じゃなきゃイヤっ」

  ぷぃっ

「拗ねてもだめだっ! とにかく今日は帰れっ」

 とは言ったものの、ちょっと気持ちが傾いている浩之。
 もう少し粘られるとヤバイかもしれない。
 そして綾香は案の定粘るのだった。

「いやいやいやいやいやいやぁっ!! 今日は浩之遊ぶのぉっ!!」

「ええぃ、やっぱ帰れッ!!!」

 綾香が繰り出す駄々っ子パンチを巧みに避けつつ、浩之は綾香を家の外に出
した。浩之が(……当たったら絶対に死ム……)とか思っていたかどうかは、
定かではない。

「ね、姉さんに言いつけてやるぅ――――――っ!!!」

 綾香はある意味危険な捨て台詞を吐きながら走り去っていった。







「ソロモンよ、私は帰ってきたですぅ」

 夕刻、マルチが大きな袋をかかえて帰還した。

「おお、待ちかねたぞ」

 浩之は飛び込んできたマルチを抱き留めると、ほっぺたにすりすりしながら
居間へ向かう。マルチのほっぺは、甘い匂いがした。

「しかし七研もたまにはまともな事してくれるじゃないか」

 今回は新しい子供向けオモチャのモニターをやらされる。
 浩之の都合とはこの事だった。

「はいぃ〜☆ なんでも、この前発売された『えんぜりっくなんたら』に触発
 された、と主任はおっしゃってましたですぅ」

「ああ、あの“自分の思ったとおりに動く自作人形でアツいバトルを繰り広げ
 る”ってやつな。最近は大会まであるという」

 居間に着くと、マルチが袋の中身をテーブルの上に引っ張り出した。
 内容は、謎のヘルメットが二つと人形が一つ。
 人形は浩之にそっくりだった。
 先程のマルチ型と同じく、作り込みはやたら激しかった。

「これこそがっ、七研が自由競争の名の下に開発した新世代玩具……その名も
 『りーふ・ふぁいたー』ですぅっ」

  ば――――ん! 

「ぷれいやーさんが考えている事をへるめっとさんに伝達し、それをそのまま
 人形さんがとれーすして動く戦闘型玩具だそうです」

「さすが七研。パクりじゃねぇか」

 いそいそとメットを装着しつつ浩之がツッこんだ。
 しかし、されど七研とも言える。
 新しいシステムを搭載しているのかもしれない。

「とにかくやってみようか。昔から百聞は一見にしかずと言うしな」

「ちゃれんじ精神旺盛な浩之さんも素敵ですぅ」

「おぅ。んじゃ早いとこ始めよーぜ」

 メットの感触を確かめる浩之。
 結局、浩之も好奇心旺盛なだけだった。





「そーいえば綾香さんは来てないんですか?」

 セッティングと操作方説明を終え、いざ始め、という時に。
 マルチはきょろきょろと綾香の姿を捜し始めた。 

「綾香なら来たぞ。都合が悪い、って帰しちゃったけど」

「えぇ―――――――っっ!?」

 驚愕におののくマルチ。
 ……そこまで驚く必要は無いと思うのだが。

「せっかく審判さんを頼もうと思ってたですのに〜」

「っつーかなんで綾香が来たこと知ってるんだ?」

「おつかいの途中で会ったんですぅ。それで、もしお暇なら一緒に遊びません
 か……って」

 そんな事は一言も言ってなかった気がするのだが。
 まぁ、綾香らしいと言えば綾香らしい。

「仕方ないですねー。でもおかげで浩之さんと二人っきりになれました〜」

 そう言って、にぱっ☆ と笑うマルチ。
 見慣れているはずのその笑顔に、浩之は完全に魅せられて。

(エンジェリックスマイルってのはこういうのを言うんだろうなー)

 と、思わずにはいられないのだった。








「んじゃ始めよっか」

 テーブルの上で対峙する二体のドール。
 さらにそれを挟んで向かい合う浩之とマルチ。
 二人ともヘルメットを装着している。
 浩之が浩之型ドール、マルチがマルチ型ドール(冥土服仕様)を使用する。

「りーふ・ふぁいと、れでぃごーですぅ!」

 これが開戦の合図だ。
 二体のドールが戦闘態勢に入った。
 ぼー……っと突っ立っていただけのドールが構えをとり、間合いを計るよう
にじりじりと動いてゆく。

 操作システムは、マルチが言ったように、操作する人間が考えた事をそのま
ま、ダイレクトに人形:自キャラがトレースする。つまり、『歩く』と思えば
人形は歩き、『いっちゃんにょろよ〜!』と思えば人形はにょろっとする。
 七研とは思えない、非常にまともな代物だった。

「浩之さんっ、いきますよ〜っ」

「おうっ、どーんと来い!」

 浩之ドールにぽてぽてと突っ込んでくるマルチドール。
 その動きは、突っ込んでくると言うよりも、歩いていると言ったほうがいい
のかもしれない。

「てりゃりゃりゃりゃりゃ〜っ」

  すかっ……

 あっさりとそれをかわす浩之ドール。

「あ、あれっ!?」

「ふっ、掛け声はモップ掃除と同じでも、ゲームにはそれじゃ勝てないぜっ」

「ふぬぅ〜っ、私の渾身の一撃を〜っ」

 マルチの予想では、当たるはずだったらしい。

「今度はこっちからいくぞっ!」

 浩之が叫ぶ。
 互いのドールの位置は、浩之ドールがマルチドールをかわした……つまり、
マルチドールが浩之ドールに背を向けたところだった。

「もらった―――――っ」

「ああっ、もらわれてしまいますぅ〜っ」

 浩之が、獲った! と感じた次の瞬間。

  ……だきっ!!

「お、おりょ……!?」

「……ほえ!?」

 浩之ドールはマルチドールを背後から抱きしめていた。
 突然の抱擁にマルチの思考が混乱したのか、ばたばた手足を振り回して暴れ
るマルチドール。
 混乱したのは浩之も同じだった。

「おい、デコピンだよっ! デコピンしろっ、くぬっ、くぬっ!」

 しかし、浩之ドールはさらに深く、マルチドールを抱きしめただけだった。
 そしていつしか、マルチドールも暴れるのをやめ、静かに浩之ドールの抱擁
を受け止めていた。

「ひ、浩之さん……一体、どうしたんですか……?」

「わ、わからん……」

 困ったように頬を染め、マルチが浩之に尋ねる。
 浩之は、人形の予想外の動きにただただ困惑するだけだ。

 やがて、マルチが思い出したように言った。

「……これって確か、ぷれいやーさんが思った通りに動くんですよね……」

「お、おう。マルチが説明してくれたんだろ?」

 マルチの言っている事がいまいち飲み込めない浩之。
 マルチはさらに頬を染め、続けて言う。

「つっ、つまり……お人形さんがこうしてるのは、その、浩之さんが……」

 ケムリが噴きそうなくらい真っ赤なマルチを見て、浩之はようやく、マルチ
が言わんとしていることが解った。
 そして理解すると同時に、羞恥と照れでマルチ同様真っ赤になってしまう。

 二人が見つめる中、二体のドールは互いに向き合い、改めて抱きしめ合う。
 それは二人にとって日常的な行為だったが、こうして客観的に見せられると
本人たちにとってはかなりの赤面ものであった。

「……は、恥ずかしいな」

「そ、そうですね……」

「…………」

「…………」

 黙り込んでしまう二人。

 それはしばらく続いたが、やがて浩之が口を開いた。

「……上」

「……えっ?」

「……上、行こっか」

「…………はい……」





 二人がいなくなった居間のテーブルの上には、寄り添って唇を重ねた二体の
ドールが座っていた。
 二体のドールはこころなしか、幸せそうな表情をしているように見えた。








 同刻。
 ところ変わって来栖川邸は芹香先輩のお部屋。

「……ってわけで浩之が相手してくれないのよ〜っ」

  どがしっ!!

「…………」

 綾香が暴れていた。

「…………」

「そうは言ってもね……姉さんは遊んでもらったからいいかもしれないけど」

 昼間のことをまだ根に持っているらしい。
 因みに今回の被害状況は、ドア×1、机×1、マント×2、水晶球×3だ。

「…………」

「わかってるわよ、そんなこと……でもなんか腹立つのよねぇ、とくに今日の
 浩之の態度が。あんな追い出すようにしなくてもいいじゃない」

 綾香はちょっと寂しそうに言った。
 原因が自分であることなど、思ってもいないらしかった。

「…………」

「……それもそうね。浩之には明日たっぷり相手してもらいましょうか」

「…………」

「え、姉さんも来るの? ちゃっかりしてるなー」

 先輩は、ちゃっかりしちゃってます、と言った。

「よし、そうと決まれば今日は早く寝て明日に備えよぉっと」

「…………」

「うん。じゃ、姉さん、おやすみぃ〜」

「…………」




 翌日。
 結局、浩之は力尽きるまで来栖川姉妹に遊ばれたのであった。






<了>
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